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2007.07.29 (Sun)

夜はいつも・・・P.ラムリー。

夜のおとも?
お酒のおとも???

・・・マレーシアの夜は、P.ラムリーとともに

必ずと言っていいほど、
テレビで彼のモノクロの映画を放送してます。
これを見みながら、氷入りのビールを飲んでいると・・・実感します。
あぁ、ここはマレーシア


・・・・・P.ラムリーをご紹介・・・・・・
映画監督、俳優、作曲家であり歌手。
マレー、中華、インド系関係なく、マレーシアで国民的な有名人。
未だに彼の映画は廃れることなく何度も放送され、
(悲しいことに)今はマレー人に愛され続け、同じ場面で笑い、泣き。
時に彼の歌を皆で口づさみ。
大スターでした。
1929年3月22日にペナン島生まれ。
1973年5月29日に44歳の若さで亡くなりました。生きていれば78歳。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



そんな彼の家。
ちょっと前を通ったのでパチリ
















お家と、ちっさな資料館があるだけの、
全くもってP.ラムリーを知らない人にとっては「?」の場所、
ガイドブックに載ってない、マニア向けの観光地。

こういう場所を熱く語れる日本人になりたい(笑)。

P.ラムリーの少年時代は日本の統治下に置かれた時代。
日本海軍が運営する学校で学んだそうです。
その時代を思い出させる映画も数本。
軍歌らしき歌や、日本人にもすんなり受け入れられる旋律。
ワタシが学校では勉強しなかったマレーシア。その歴史。
ただ決して、日本人を最後まで悪くは描いていません。

それはたぶん、
映画を撮りだした時代も反映してると思うけど、
無名時代。NHKから派遣されていた日本人音楽家から音楽の基礎を学んだ、
と、どこかで読んだ記憶が・・・。
勝手な解釈で、P.ラムリーは日本ビイキ?!?


あと日本人として不思議なのは、
彼の映画の女性って、ほとんどトゥドン被ってないのよねぇ。
よっぽど今の映画の方がイスラム色強し。
だし彼の映画は、知りチャイニーズおばちゃんも「おもしろいわよ!」ってくらい。
民族を超えてるっ!! この時代はP.ラムリーだけでなく歌手もそう。

未来に希望を託すなら、まずは自分を良く理解、自分を表現する。

そんなものを彼の映画から。
ほんと音楽・映像・笑い、マレーシアを好きだったんだろうな、と。
もし生きていたなら、当時と違ったマレーシア下で映画を撮れていたのなら、
どんなP.ラムリー、マレーシアだったのか?
・・・今は彼の映像、生家を観て想いはせるのみ。


-----ほぼ同じ内容のものを、ここでも。

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